デモについて。


他人の行うデモをみるときいつも、反秩序、反体制活動、といった第一印象からなぜか自由になれない。
しかし、世の中を変えるため自分にできることは何かと考えるとき、デモは有効な手段たりうるはずだと思う。


情報技術の普及により、発信のコストは逓減し、それゆえインターネット上には有害無益な言説も溢れかえっている。
ネット上に発言しただけで、それで世の中に何かはたらきかけたような気になることは大いなる勘違いかもしれない。
勘違いであるばかりでなく、ネット上の発言が現実の行動の代償行為となってしまうことは危険でさえある。


デモを行うこと。
それを直接目にした人々に対してだけではなく、デモを行ったことを、さまざまな形で世に伝えること。
インターネットはそのための手段として、この文脈のもとで有効である。
世論に影響を及ぼしうるマスメディアを活用することができれば、デモを行うことの意義はさらに高まるといえる。


必ずしも反秩序ではない。反体制ではない。声高に主張を訴えるとは限らない。
しかし、目の前の現実に対して、ほんとうにこれでいいのだろうか、と人々に問いかける。
いっしょに考えてみてください、と問題提起する。


デモをする人々の投げかけを世の中が受け止める。
その積み重ねが、いつか、世の中を変える力となっていく。
そのような過程が実現することを私は期待したい。


デモをやろうという呼びかけを受け、法制度を調べ、警察行政と折衝を重ねるうち、デモを行う権利が厚く保護されていることを実感した。
これが機能するうちは、日本がなお民主国家の片鱗をとどめているのかと思った。
先人の尊い血で購われたものといえるかもしれない。