後日譚

それはそうと、生まれて初めて買った宝籤4枚、やはり悉くはずれでした。

  • 投資回収

宝籤については、投資回収期待が経済合理的でないと予て理解していたがゆえに、これまで買わなかったのです。
既述のとおり、全部買い占めても損する。いいかえれば、期待値が籤代を下回っている。

  • 心的過程

でも、試みに買ってみると。
もしかしたら当たるかな、という期待しちゃうわけですね。人間のサガかもしれません。
ところが、その期待は経済合理的ではない。つまり、ほとんどの場合、はずれる。
はずれると、期待のあった分だけ失望する。
ということがよくわかりました。


はずれたとき、期待と失望の総和がゼロなら、籤代を支払ったことがマイナスです。
いや、宝籤は期待を買うものだといいます。とすると、期待は支払済みだから、失望するだけマイナスという気がします。

  • 心的結果

宝籤を買ってみたことは、お金を得るか失うか、という以外の、心の満足のようなものについて考えてみる契機となりました。
次の式が成り立つような気がしました。


満足 = 結果 - 期待


たとえば、プラスの結果が得られても、期待が大きいほど満足は小さい。
あるいは、結果がゼロなら、満足は期待の裏返し。つまり、期待が大きいほど失望も大きい。

  • 期待の効用

では、期待などないほうがよいのか。
そういうわけでもなさそうです。
期待が大きければ、より高次の結果を求めて努力する。より大きな満足を得んがために。
期待を超えようとする営為は尊いものと思います。
期待はこの営為の水準を高める方向に機能することでしょう。

  • 個人的領域

しかし、こと宝籤では、期待を超える努力のしようがなさそうに思えるのです。
また、私の如き怠惰者にとっては、当籤をあてにすることが怠惰の口実のひとつにもなりかねないのではという危惧もあります。
宝籤が私には個人の趣味の領域に属すると思われる所以です。


あーやっぱり最近疲れてんのかな。