続・だいじなものと不在

8/5付で余命3ヶ月というのは、人生でだいじなものを自覚するために想像してみる過程でした。
masanariさんが昨日付「あと、どれだけ?」で言及して下さっています。


じつは、7/31付「なんで冷たいんだろうなぁ」8/2付「いろいろ考えたけど、よくわからないから」など拝読した折、
類似した主題について、私も考えてみなければと思っていたところでした。


たとえば、何か迷ったときに、「公正」と思われるみちをとる。筋を通す。納得して死ぬ。
などといったことを漠然と考えていました。
ところが。「余命3ヶ月」想像過程を経てみると。そういうものはかんたんにふっとんだようです。


だいじなものは、求めるべきものは、もっとほかにあるのではないか。何が不在なのか。
何に対して、ありがとう、さようなら、といって死ねるか、死にたいか。
まだまだわからないことばかりです。