共存の叡智

kogkog2006-08-10



昨日付拙稿「続・だいじなものと不在」に次いでmasanariさんの書かれた"ari"昨日付「大事なもの、大事なことって」を拝読。
以下、予て漠然と考えていたことを少々補足します。思いつくままに、妄言多謝です。


だいじなもの。真理、普遍、絶対、などといったもっともらしさには、私はどうも懐疑的反応を示すようです。
「正しさ」という概念が多様であるとすれば、おそらくそれらすべてを「私にとっての」という属性が貫いているのではないでしょうか。
いかなる「正しさ」も、一定の関係において相対的なもの、社会では当事者たる主体が互いに共存するための叡智のようなもの、
といった範疇から逸脱しては存立しえないような気がします。


そうでなければ。
「だが、地獄への道は善き意図をもって舗装されている」
"Der Weg zur Hölle ist jedoch mit guten Absichten gepflastert,"*1
ということになるのかもしれません。

*1:K.Marx"das Kapital"Bd.I,Abschn.Ⅲ,Kap.5,"2.Verwertungsprozeß"、K.マルクス資本論」第1巻第3篇第5章「第2節 価値増殖過程」。