問われる抽象力

近ごろ毎日のように聴いてるのは昨日付言及の話題作の数々、ただしあゆこさんのいるときは下掲。発売前の4/17付からつづく。
Like Someone In Love Hiroshi Minami Trio "Like Someone In Love" ewe,'08.
Cover Photo: Hellen van Meene
Untitled, 2004 / c-print / 29x29cm / Riga, Latvia


劈頭"My foolish heart"から、やはり B.Evans の Village Vanguard *1あたりを思い出してしまう。
選曲は多様だけど、この1曲目の雰囲気が全曲を支配しているかのような感じがある。


自作曲主体の前作 *2からかわって、スタンダード集ゆえの親しみやすさの反面、原曲の印象が演奏の個性をみえにくくしているのではという気もする。
1曲目のほか、たとえば3曲目"solar"は、思えば私が21〜2歳でジャズを聴き始めたころ、M.Davis '53年の名演*3により刷り込まれた印象が強い。
あるいは4曲目"misterioso"。T.Monk の曲はその多くが作者の存在感を放つ。


演奏の対象と方法について、それが耳慣れて懐かしいものであるほど、聴き手のもつ先入観が却って奏者の表現に対峙する妨げになるのか。
聴き手は自らに固有の夾雑物を捨象できるかでまず試されるのか。演奏に秘められているかもしれない内省や毒云々に接する以前に。


耳に心地よい良質なピアノトリオであることにかわりない。聴き手を選ばないのであろうことも。

*1:'04/2/8付。

*2:'06/10/24付。

*3:ウォーキン(紙ジャケット仕様) Miles Davis all stars "walkin'" Prestige 7076.