鼎談概略

いったいいつの話だという感じではあるが。
5/5付で言及の鼎談、撮影や録音は禁止だったけど、手帖のメモから概略を再現する。文責kog。

『commmons schola vol.2 Yosuke Yamashita Selections Jazz』発売記念トークセッション&抽選会開催! 坂本龍一x大谷能生 ゲスト:山下洋輔 - 新宿店 - タワーレコード
'09/5/5(火)16時-17時頃


坂本龍一: 「スコラ」の企画は全30巻。年3巻ペースで10年の計画である。次はドビュッシーとラベルをやる。
 次いでロックでベースとドラムをとりあげる。それぞれ細野さんとユキヒロに選曲をお願いしたいと考えている。
 そのあとは古典派をやりたい。古典派は奥が深い。
 ジャズは始まりと終わりが難しい。今回の巻ではセシル=テイラーで唐突に終わっている。マイルス=デイヴィスもフュージョンも扱っていない。 


 日本のジャズの起源を考察するのも面白い。瀬川昌久などは昭和15-6年ころを起源としている。
 浅草などの大衆文化との結びつきもある。戦後になると額縁ショーからストリップが生まれたりして。
 巡業の経験を積んだ世代としては山下洋輔が最後くらいか。'63年のキューバ危機のときはインドネシアを巡業していたそうだ。
 韓国のサムルノリのキム=ドクスとは同い年で親しい。日本語でよく話す。
 その他アジアでは上海バンスキングなども興味深い。


大谷能生: 坂本が「ジャズを知らない」とは意外だった。「モードって何?」という発言には驚いた。
 「スコラ」のジャズの選曲は山下洋輔しかいないという気がしていた。初案の後「スコラ」の趣旨を説明し、選曲しなおしていただいた。
 山下がディキシーからジャズに入ったとは初めてきいた。


山下洋輔登場: ピットインで若手と3日間やっている。今リハーサルを抜けてきたところだ。
 ドラムスの小笠原26歳は山下達郎に引き抜かれてしまった。16ビートからフリージャズを仕込んだのだが。
 スタジオに2人籠って、互いに相手の動きを見ながらスパーリングのようなことをやる。
 森山威夫のときもそうだった。武道や歌舞伎に通ずるものを感ずる。なかなか譜面だけでは伝わらないものがある。
 アートアンサンブルオブシカゴとやったときは、彼らはたとえば譜面の「タカタタン」という音をどうしても出せなかった。頭に八分休符が必ず入ってしまう。
 近ごろの若者は変拍子だろうが何だろうが軽々とこなす。基盤が4ビートではなく16ビートにあるようだ。


 「スコラ」の私の選曲はディキシーとスヰングの中間派というところから始まっている。兄の楽団の演奏を聴いたのがジャズの道に入る契機であった。
 兄は「モダンなんて」これ生放送じゃないよね、「キチガイのやるもんだから真似しちゃいけない」と言っていた。
坂本: ということはそれなりの危機感はあったのか。
山下: そうであろう。
 70年代以降は聴いていないので今回の選曲に入っていない。足りないところは推薦盤紹介で大谷氏が補ってくれている。
大谷: ジャズが拡散した後のほうが面白いかもしれない。

  
坂本: 今のジャズについてはどうか。
山下: 若い人とやるのが面白い。北海道出身女子17歳のアルトサックスとか。現役音大生挟間美帆のオーケストレーションはすばらしい。
 私の昔の作品「キアズマ」に触発されて「キアズマが好き」って曲を作りましたなんていわれるとたまらない。
 今の若い人は、フリージャズもあるよ、という感じで屈託がない。


坂本: こんな音楽もあるよ、というと、ドビュッシーやラベルに出会ったときそんな感じがした。
 この2人はとても1巻に収まりそうにない。十代に戻って勉強してるような気分で企画を考えている。
 それにしても大谷氏の膨大な知識には恐れ入る。
大谷: 私はCD世代で、旧譜は再発のCDで聴いた。ジョンスコの新譜とロリンズのヴィレッジヴァンガードが同時に出てそれらを聴くという感じである。
坂本: ジャズ喫茶に行くと店主に教育されたりして。
大谷: 怖くて行けなかった。
山下: 村岡建というサックス奏者はジャズ喫茶でマクリーンのソロを聴きながらその場で採譜してみせたので凄いと思った。
 しかしあとで考えてみたら、予め聴きとってあって、いかにもその場で採譜したようにみせたのかもしれない。
 ジャズ喫茶というのは日本特有の文化であって、恰も神殿に参るようだと評した米人がいた。
坂本: いつもと違う店に行くと浮気してるような気分になったりする。
 世田谷の田舎から新宿高校に入って、4月のうちに界隈のジャズ喫茶30いくつかすべてまわった。
 「石の家」なんて店も当時からあって今もやってる。
 当時山下洋輔といえば雲の上の人という感じだった。
山下: 笹塚に事務所があって龍一さんや山下達郎も出入りしていた。近所の人に「歌が売れてよかったね」といわれたが、山下違いだ。
 龍一さんのデビューは。
坂本: '78年がソロデビューである。その前後は浅川マキの伴奏などやってた。故阿部薫とも共演した。
山下: 彼は人のいうことをきかない。ソロの途中で議論が始まったりする。 演者としてはそこは演奏で応じて、議論は別にするべきと思う。
 前衛はキ印の溜まり場みたいな感じがあった。
坂本: そういうのをもう1度やってみたい。
大谷: 今回の坂本氏のツアーはソロピアノで2時間半というのが凄い。
山下: せめて45分を2本にするとか。
坂本: そうすればよかった。
山下: 7月19日の日曜、日比谷野音で山下トリオ復活祭をやる。武田和命意外全員存命である。乞うご来場。