戯言


多くの生命や財産が失われた。伝統や文化なども含め地域そのものが潰滅に瀕しているところも多いのであろう。
被災地には私自身の思い出も多く含まれて心が痛む。いやそんな感傷さえ憚られる。
日々接する報道からはときに人々の勁さの感じられるのが救いである。


原子力事故への国や事業会社の対応から日本の強さなど信じることはできない。
起きうる頻度と起きたときの影響によりリスクを棚卸し評価し、優先順位をつけて対策を講ずるのがリスクマネジメントではないのか。
たとえ千年に1度の天災であったとしても、それが起きたらどうなるか。
ことが起きたときのリーダーシップの不在。クライシスマネジメントの不在。マネジメントクライシスとしかいいようがない。


銀行のシステム事故は未だ解決していないのではないか。
大量の取引が未処理で残り、数日を費やして完遂したという。しかし遅れてなされた取引の日付を遡ることはない。
そのとき当初の取引日付を付利の起算日とする扱いは殆ど行われていないのではないか。
起算日をシステムに認識させないまま処理のみを急いだのだとしたら、公器としての決済機能の根幹が揺らぐ。経営判断はあったのか。


生産や流通が滞る。節電が実効をあげる。
少々暗くても物がふんだんになくても少しくらい不便さが増しても、さすがに原始時代に戻るわけではない。
ほんの数十年前の日本はこんなふうだったのではないか。豊かさとは何か。