想像力と社会と自然科学技術


昨日拙稿開示後、” column@nak”に補足追記がありました。


想像は私もします。別件検挙とかならよくありそうな話です。
しかし今回の書類送検ではどうも現実離れした想像のようですね。
一般に、力をもつ者が自らに不利益を及ぼすと考える者を不当に扱うということはよくあるし、自分がそのような扱いを受けたのではと想像した経験が私も一再ならずあります。


私は自分を、むやみに想像しない人とも、想像力が豊かな人とも思いません。
ただ、セグウェイが現在の日本の町を走る姿を想像したとき、それが歩行者や自転車や自動車と如何に共存しうるのか、どうにも難しいと思ったことでした。


私は技術系人間かそうでないか。
自然科学技術に関して疎いかもしれません。
しかし、社会科学系、人文科学系の技術というものもあり、それらについては自然科学ほどには不得手ではないのではと思うことがあります。


セグウェイという商品に用いられている自然科学技術がどれほどすぐれたものか知りません。
とはいえ、電池が切れたら転倒するような事故を避けるためのフェイルセイフは確実なものであってほしいとは思います。


すぐれた自然科学技術という概念を規定する要素のひとつに、それが社会にとって有益かどうかという基準があるような気がします。
いかに先進的・機能的であれ、現在の道路交通社会には有益でない自然科学技術。
それがほんとうにすぐれた技術であるなら、未熟な社会を変えうる力をももつことでしょう。
未来の道路には、セグウェイ専用車線が整備されているのかもしれないと想像してみる。
いや、それも難しいかもしれません・・