鈍行の旅


小六の冬休みに考えました。
東京から出てる湘南電車はまあ、各駅停車だな。
京阪神にも、国電は走ってる。線路は、つながってる。
なら、大阪まで、鈍行でいけるはずだと。


それ以来、西宮市上甲東園の母方実家へ行き来するのに、東海道を鈍行で何度往還したことでしょう。
趣向を変えて、中央本線経由としたことも一再ならず北陸本線を回ったこともありました。


あるとき仙台に用があって、でも西宮にも行きたいなあ、じゃ、両方行こうか、となりました。
小田急で小田原へ出て、小田原発仙台へ、鈍行の旅。
1日目は名古屋経由、紀勢本線の夜行で大阪へ。普通列車で寝台車をつないだのがあったのです。西宮に2泊。
2日目は大阪から岐阜経由、高山泊。3日目、北陸へ抜け北上、直江津から再び内陸へ入って長野泊。
4日目、雪深い飯山線を通って只見泊。5日目、会津若松から郡山を経て仙台へ。山から里へ出た気がしました。


次の冬にはその逆をやりました。仙台発小田原行き。
1日目、仙台から北上、盛岡から花輪線へ入り大湯温泉泊。2日目、弘前から五能線へ、深浦泊。日本海に沈む夕陽。
仙台のことばはわかるようになったのに、秋田のことばはまるで外国語。
3日目、鉛色の海と空。秋田から羽越本線へ、鶴岡泊。4日目、新津から信越本線へ、鯨波泊。
5日目、糸魚川から内陸に入り、信濃大町泊。5日目、辰野から天竜川沿いに豊橋へ。そして東海道を小田原へ。黒潮のにおいを感じた。


当時、鈍行で旅するのに、客車列車のたのしみがありました。
機関車が牽引するので、客車に動力はありません。ドアも自動ではありません。
停車すると、いっさいの騒音が消え去ります。
列車待避や交換などで、長時間の停車もしばしば。
窓をあけると、木々のざわめき、鳥の囀り、蝉時雨など、四季折々の音と空気がとびこんできます。
汽車旅の至福は、こんなひとときにも感じられたことでした。