公共的責任

@nak(あ)さんは、サイト運営の公共的責任ということに言及されています。
これは難しい。


自分のサイトは私物ではない。
不特定多数の目に触れるものとして公開するかぎり、世間に対して一定の責任を負うことは間違いないでしょう。
ではその責任を全うするとはどういうことなのか。これが難しい。


私は、いわば公正さといったものが、その責任の鍵になるのではという気がしています。


責任の所在を明確にする手段のひとつに、本名を明示し、本名でふるまうことがあると思います。
本名を隠し、別の名で行動することは、インターネット上及びその周辺の社会ではあたりまえのようです。
しかし、自己同一性といったものを損なうのは公正ではない。
たとえば、誰でもない誰かに化けるとか。一連の議論の中で1人2役を演ずるとか。


自分は誤ったことを言うかもしれない。それは避けられない。
でも、指摘を受け入れる素地をもつ。そして自分の誤りを正していく。
あるいは自分と異なる考えを受け入れ、自分も変わっていく。
公正さの一端はたとえばこんなところにもあるのかもしれません。


公開する以上、その反応としてあらわれるのは、自分にとって快いものばかりとは限らないでしょう。
期待しない反応に接したとき自分がどうふるまうか。
公正さはそんなところでも試されるのかもしれません。


何も、インターネット上に限ったことばかりではありませんね。


たとえ自己紹介がなくても、「手軽」でも、「内輪ウケ」でも、それらが直ちに公共性を害するかといえば、私はそうではないと思います。
公正さを損なわない限り。


当日記では時折、「リンク元」について記載しています。面白半分ということもあります。
しかしそれだけではありません。自分の書いたものがさまざまな関心をもつ人々に見られているということを、つど自分にいいきかせるという意図もあってのことです。


きょうの問題は難しい。これからもよく考えねばと思います。