読者が問われる


「miharuqのひとりごと」にて、下掲書らしきものに言及がありましたので、私見を少々。


Pease, Allan & Barbara、藤井留美訳「話を聞かない男、地図が読めない女‐男脳・女脳が『謎』を解く」
("Why men don't listen and women can't read maps")主婦の友社、2000年。ISBN:4072265144            
話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く
以前、かぜはるかさんの掲示板「かぜのたより」にて、読後感を述べました。
>No. 1578
>time: Wed Jan 31 19:12:37 JST 2001
>「無批判に結構売れているようなので、黙っていていいのかなという気がしています。」


で、その後、たしか或る友人に宛てたメールで詳しく論評した記憶があったんだけど、原稿行方不明。
その友人に受信記録を探してもらってやっと発見できました。記して感謝申し上げます。
以下転載。webには今回初出です。


Sent: Saturday, May 12, 2001 12:29 AM


上記文献が相変わらず売れているようです。昨年夏、いんてりげんちゃんと思しき人に薦められて読了。とんでもない代物でした。私はこのような所謂似而非科学が無批判に売れる状況を危惧します。
読後感は、ひとことでいえば、まともに論評する暇が勿体無いというものでした。私の人生にはこの本に関わるよりもずっと有益な時間の使い方がおそらく数百通りは考えられると思います。したがって以下の論評も適当なものですが、この本にはこの程度でもちょうどよかろうと思います。何しろ時間の無駄です。


自分が読みたいと思って手に取った本を途中で投げ出すことはそうめったにない。この本は読了までに相当強い意思を要した。たとえば怪しげな新興宗教悪徳商法に引っかからないほどの分別を持っている人なら容易に読み進められないのではないかと何度思ったことか。このように乱暴な単純化図式化と粗雑な言説の浪費で著者の主張を納得しうる神経があるとすればそれは私の理解を超えている。著者の素性はしれないが、企業向けの教育研修を商売にする者の中にはこうした手合いがよくいたことを、この本を読みながら思い出した。
粗雑な記述は実証のまさに対極にある。結論の押し付けと感じられるのは実証による説得力のかけらも感じられないからであろう。仮に粗雑でも説得力の欠如があっても、碩学は背後にその深さが透けて見えるものだが、この著書からはそのようなものは微塵も感じられない。
ひとつだけ例を挙げる。人類が類人猿から進化したのちの狩猟経済の痕跡が論拠として多く用いられる。論証の飛躍には仮に目を瞑る。狩猟は唯一普遍の経済過程であったのか。類人猿との境界すら不分明な段階以降、たとえば小動物の捕食や植物採集などの過程は無批判無検証に論考から排除されてよいのか。社会の、あるいは生産手段の所有関係の、それぞれ萌芽の形成以後、狩猟経済の他方農耕経済は同様に無批判無検証に論考から排除されてよいのか。記述の簡単のために省略したとは行間からもとても読み取れず、論考の欠落とみるのが常識的としか思えない。
訳文がこなれていることが救いといえるか。救いではなく訳文の外観に惑わされる読者もいるとすれば危険か。蓋し訳者の力というのは訳す先の言語の力に本質的に依存する。ゆえに訳者の日本語力は評価しうるかもしれない。ただし日本語の手練れであっても当該分野の研究者ではないことの限界は如何ともし難い。専門領域にきわめて無神経で、義務教育あるいは常識程度の初歩的な誤りも散見される。たとえば恐竜の絶滅が数百万年前とか、一研究者が百万人を被験者として実験を行ったとか云々。誤訳が疑われるほどである。
著者が莫迦といえるかどうかわからないが、このような書物が売れるのが危険であるということはいえる。編集者、出版社の見識が問われる。当世、扇情的な書名と物量宣伝だけで本が売れる既成事例の累積に出版産業界が迎合しつつあるとすれば、業界は知らずして自らを貶めていく定向進化を辿るのであろう。
本書において生活感覚的に思い当たる節の微笑ましさは、テレビの「ワイドショー番組」などによくみられるものと同質ではないか。否、微笑ましいという程度ではなく、書名において語るに落ちたように、男は話を聞かない、女は地図が読めない、などという命題が恰も学問的実証の裏づけがあるかのような外観を纏って人口に膾炙するに到っては、著者と出版商業の行為は犯罪的な領域に立ち入る。売れるのは民度の反映というべきか。男は話を聞けないのだから、女は地図を読めないのだから、という地平から出発することの不毛に著者が思いを致すことは望むべくもない。ならば読者はそれにどう立ち向かうかをまさに問われている。