嫌疑のもたらすもの


経営者は会社を、いいかえれば時価総額を大きくしたいと思った。
それには高い株価を背景に有利な企業買収を進めて株数を増す方法がある。時価総額の拡大が株式投資家の抱く成長期待をさらに煽り株価を押し上げる。これは実業を育てるより手軽かもしれない。
しかしそのために用いるさまざまな手法のどれかが、万が一にも違法不当という嫌疑をうけたらどうなるか、経営者は想定しなかったか。


この会社は成長する、株価はもっと上がる。投資家の多数がそう期待して買う。買われれば需給だけでも株価は上がる。
しかしその期待の根拠が実業の利益成長にではなく、株高と企業買収を前提とした時価総額の拡大にあったとしたら。


投資家の成長期待を拠りどころとした経営がその期待を裏切ったら。
それも事業見通しなど経営判断の誤りでではなく、違法不当な行為によって、虚偽によってであったとしたら。


このような場合、違法不当という嫌疑は偶発不祥事の次元にとどまらない。企業イメージが下がりそれが業績に影響し当事者が責任をとり云々では終わらない。
嫌疑は株式投資家の成長期待を破壊する。期待で買われた株価を破壊する。
成長を実業にではなく株高と買収に依存した経営はその拠ってたつ根幹を失う。経営者はそのリスクをとって何を実現しようとしたのか。