読図探検

Asakoさんの日記一昨日付へのコメントを補って、読図の思い出など少々。以下本文/


東京都渋谷区から山岳地帯へ越してきたばかりの小学4年のころ、近所の山のてっぺんに赤旗の翩翻と翻るを発見。
さっそく探検隊を組織して正体究明に参じたところ、旗には「国地院」と記されていることが判明しました。これが我が生涯における国土地理院との出会いでした。


中学に入ってすぐ、学校周辺地域の5万分の1地形図を買わされました。
宿題として、自宅と学校を直線で結びその断面図を書けなんてのがあったり。ふた山越えて通学してる実感がみごとに図形化されたものです。
初めての中間試験は地形図とディバイダ持込み。この地点の最寄駅の次に近い駅はどこか、という問題にみごとにひっかけられました。私鉄の隣駅ではなくて、反対側の国鉄駅のほうが近かったのです。答え合わせで円を描いて確認。


中高時代、旅先で汽車の写真を撮ろうなんてときにも地形図は重宝しました。ここでこの方向で撮ったらいい景色だろな、なんて*1
高校の地理は地誌ではなく系統地理で、先生のひとことが印象的に残ってます。
「これほど情報豊かな地形図が昼一食分にも満たないおかねで入手できてたのしめるとは、幸せですねえ。」って。


長じてからの自転車旅などでは、地形図から勾配を読むことのだいじさを実感してます。
麦草とか乗鞍とか美しが原とか、コース上に標高差100m毎に印をつけたりして。


一昨年夏の長州ツアー*2では忘れえぬ失敗というか。
小郡から萩までの行程は5万図を揃えてたんだけど、そこから津和野まではバスになるかもしれないしと思って20万分の1の地勢図しか用意してなかったのです。で結局、萩・津和野間も走ることになって、道程をどうするか、地勢図を見ながら鳩首協議。
自動車の幹線を走ってもしょうがないし、川沿いに上流へ遡り、尾根をひとつ越えて津和野側へ出るルートなら、それほどたいへんでもないだろ。
川も道もあまりくねってないし、これまで走ってきた山口県の山容はどこもなだらかだったし。
ところが、走り始めてみると。
川を遡るにつれ谷は深くなるばかり。まさか、この険しい尾根を越えてくんじゃあるまいな、との願い空しく、おそらく平均でも10%はゆうに超えてそうな峠道に小一時間苦しめられる羽目に陥ったのでした。
20万分の1地勢図では等高線間隔が100m。ということは、この図で100m未満の高低差は勾配と認識されてないに等しいということなのでした。


それにしても、方向音痴を直すには如何にせむ。