歴史の必然

20日付「大化け」からつづく。


初期の楽曲には「テクノポップ」の手法をいかにもとってつけたような感じのものもあったのですが。
新作はこなれてます。方法論とか文脈とかいったものに必然性が感じられるような気がします。
3年ほど前、"Human Audio Sponge"の演奏に接したとき、YMOはこのためにこそ存在したのかとの感慨を抱いた*1ことを思い出しました。


自転車仲間の日記で話題にのぼったのは既述のとおり。その後、おきさんがかしゆか派と判明*2
わたくしは昔ならかしゆか今ならのっちかなあ。
職場の某氏によると、容姿と歌と踊りそれぞれ、1番よいのが3人に分散してるそうです。


女性3人組というのは視覚的配置にも苦心がありそうですね。
そういえばキャンディーズの初期はスーちゃんが真ん中におさまっってたような記憶があります。