ありし日の富士・はやぶさ

1013日付からつづく。


'74/8/20 東京機関区 Canon FT-b 55mm f1.2
往時の国鉄では、車輛基地などを訪ねて写真撮影をしたい旨申し出ると、その場で手すきの職員が撮影に立ち会ってくださるのが常であった。
しかし東京機関区は違った。東京南鉄道管理局の許可がなければ立入不可といわれ、門前払いの体となった。11月のできごとと記憶する。
雛型に従って許可申請の往復葉書を出したものの、返事が来たのは半年以上経った夏休みのさなか。
幼心にも大人の世界は途方もなく時間がかかるものであるなと思ったことであった。


富士のヘッドマークはこの時代丸型だった。


'75/2/11 東海道本線根府川・真鶴間 Canon FT-b 135mm f3.5
改めて写真を見て、このころは20系だったのかと気づいた。
客車は20系、牽引機はEF65形式500番台というのがブルートレイン保守本流であると往時を知るものは思う。


この3年半後には500番台は1000番台にとってかわられた。正面貫通扉がなんとも無粋な印象だった。
そしてさらにその数年後には貨物機EF66が牽引機の座についた。これには驚いた。
というのも、EF65-500時代に、EF66ブルトレの先頭に立ったらカッコヨカラムなどと思へど、貨物機が寝台特急を牽くはずはないというのが現実的発想だったから。
まさか実現するとは。


富士に乗ったのはこの撮影の翌月のこと。24系だった。
ということは、富士もはやぶさも、新幹線博多開業のダイヤ改正で20系が退いたのかな。


それにしても、自転車つながりのみなさまの間でも寝台特急廃止へのご関心の高さが伺えて興味深し。
kimrinさん12日付haluzakさん14日付、owakiさん1320日付、ほか多数。