茜雲忌を前に

墜落事故後、現場周辺の道路整備が急速に進んだと思う。
初めてこのあたりを訪れたのは事故後1年半くらいのころだった。川沿いの古い集落を細道が通っていた。
その後いくつか隧道が掘られバイパスができ、ぶどう峠も完全舗装された。


父親の兄弟を事故で亡くしたという友人とともに現場へ登ったのは'00年秋のことだったか。
そのときすでにかなり奥まで自動車道が建設されていて、その終点に車をとめて小一時間の登山で現場に着いた。
墓標のたち並ぶ急斜面は事故後15年を経て緑に覆われていた。航空会社の社員と思しき人々の姿があった。


今回久しぶりに自動車道の終点まで行ってみることにした。当時のさらに先まで急峻な舗装路が伸びていた。
登山口の駐車場には2輛の乗用車がとめられていた。
激しい雨の下、車をおりることなく引き返した。


書評ほか関係する話題は'04/5/258/5、’05/6/16178/1212/24付など。