狸篇



さて、料理は続きます。
あっさりした鹿刺、風味よい鹿竜田揚げ。追加の熊肉はソース味に獣らしさが負けた感じでした。
そしていよいよ、最終兵器狸汁の実戦配備を待ちます。


ここまでの献立は、獣道を志す学究の徒ならずとも、なんら抵抗なくいただけたのではと思います。
しかるに、狸はどうか。
汁に肉ひとかけらで部屋中くさいとか、翌日まで狸の息になるとか、さんざんいわれてました。


民話などに出てくる狸汁は有名ですね。
しかし、狸の食文化はあまり知られていないのではないでしょうか。
それは、いかな貧窮の時代にも、庶民の食卓にのぼるにさえ、あまりにくさくまずかったからではないか?
などと民俗学的妄想もふくらみます。


くさいといっても、はたしてどんなくささなのか?
太宰治「お伽草紙」に登場する善良な狸の台詞が思い出されます。
「このお弁当箱には鼬の糞でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入っているのだ。」
・・・

現実に還り、運ばれてきた椀。
何がにおうわけではありません。
すでに館中、獣の気に満たされているからなのでしょうか?

椀を口元に運びます。ふつうの赤だし味噌汁のようです。
肉が5、6片。ひときれずつ味わってみます。
口腔から鼻腔にかけてひろがる味わい。


雑食の狸が捕食する山野の魑魅魍魎の生気とはこのようでしょうか。
風味はやがて脳髄を浸します。
なんだか、枯葉で湿った狸穴の懐にもぐりこんだような心持ちになってきました。


くさいのではありません。おいしいのです。
食用動物の肉のもつ数多の要素のうち、おいしさを構成する共通項のひとつを凝縮したら、このようになるのかもしれません。


それを媒介するのが赤だし味噌。
赤だしの最もおいしいいただきかたは、狸汁ではないかと思えるほどでした。


米飯と狸汁だけの食事なら、毎日でもいただけそうです。
あるいは、狸肉をべつの調理で、タラフク食べてみたい。