記号の意識
ガンダ−ラ井上「人生に必要な30の腕時計」岩波アクティブ新書、岩波書店、2003年。ISBN:4007000913
今さらながら、岩波もこーゆー本を出すご時世なんだなあという印象から始まる。
表紙がいきなりロレックスの写真なので、よくあるブランド陳列かと思うと、そうでもない。
紹介される時計は、機械式からクォーツへの端境期のものが特徴的。
人生のさまざまな場面や意識諸形態にそれぞれふさわしい時計が30例語られる。
消費者の目から見た時計の工業技術史、工業デザイン史といった側面もある。
愛用している、またはしたい自動車は?腕時計は?という問いへの答えは、その人の価値観や生活様式などをよく反映するというのはありがちな言辞ではある。
とすれば、実生活で無頓着に使用している自動車が、時計が、特定の図式的価値観をもつ人に対して記号として機能してしまうという危険を予知するためにも、この種の本を読んでおく意味はあるのかも。自動車についても。
書名には「男の」を冠すべきかもしれない。「人生」の主体として女性は想定されていない。
腕時計に男性用と女性用が存在することへの言及もない。
喫煙に関して無神経に寛容な点は時代錯誤といふべし。著者だけでなく編集者の見識も問われよう。
ひとつの題材について所定の字数で語り尽くす訓練の例になるか。
文章力は水準以上とはいえ、文体に鼻につくところがあるので、手本としては適切かどうか。「ですよね。」で終わる文や、接続詞「が」の多用など。
私は「が」の多い文はあまり信用しない。というのはいいすぎだが。と、うっかり「が」を使ってしまった。
通勤1往復半ちょうどで読了。たのしめました。
2/8(日)追記。
「が」が多いと信用しないとはやはり暴論ですね。
でも、「が」の多用はなお推敲の余地を残すのは確か。手を抜くとつい「が」を使っちゃうのです。