焉んぞ無為ならむ


安野光雅編著「青春の文語体」筑摩書房、2003年。ISBN:4480814604
青春の文語体
著者巻頭に曰く、
「今の青年が、『文語文』を知らずにいたらどうなるか、どうにもなりはしない。知らなくても、楽しく生きていける。ただ、一生『本当の恋をしらず』に終わるだけである。」と。


斯く迄謂はるれば讀まざるべからずと思ひしが講讀の緒なりき。
近世以降の名文廣く蒐められたり。我幼きより親しみしものも見ゆ。
一讀著者の意氣やよし。しかれどもその志實るところ果たして幾許なるか。即ち文語を知らぬ一青年讀みて忽ち「本當の戀」をしるに足る如何なる素養をか身につくべき。
著者の所信「讀書百遍意自ら通ず」に盡くればなり。引用の稍長き且つ註釈の尠ききらひありと思料す。斯かる長文を讀むに「今の青年」の多く堪へざらむを懼る。


我が身を顧みるに、高等學校2年次の授業にて下掲書1に拠りて文語文法を學びしのち、3年次にて舊字舊假名遣ひに目覺めぬ。これら習得せむとて淺學なれど繙きしは下掲書2・3、何れも蓋し不朽の名著なるべし。
あらゆる帖面の筆記に舊字舊假名を用ゐしが受験對策学習の效率を阻害せし憾みなしとせず。
文法は改めて温習し度き思ひ已まず。美しき文語に接するに如くなきこと亦論を俟たず。


文語は単へに文體の一に止まることなし。ときに思想の権化たるべし。文體また自らに相応しき思考の枠組みを求むることあり。
文語を媒介にして初めて發信者と受信者の魂相触るること能ふる例も枚舉に暇なからむ。或は簡にして要を得たるも亦文語の神髄といへり。古典漢籍の成句なども文語世界の星霜にて磨かれたり。
現今において焉んぞ文語の無為ならむや。されどけふ文語にて認めしは戯れの故なり。


付記。
書中思はぬ發見ありたり。引用の下掲書4「六七 塔影」の項にて針穴寫象に言及さる。曰く「其の奇なること目を驚かせり」「虚言なるまじき事さとれり」と。記してぽた子さんのご參考に供さむ。


1.松村明「古典文法(新修版)」明治書院、1976年。現行版、1988年。ISBN:4625200032
2.石丸久「私の漢字教室 わるいカンジ・いいカンジ」学芸図書、1973年。新版、1984年。ISBN:4761601000
3.蘄田恆存「私の國語教室」新潮社、1960年、絶版。文春文庫版、文藝春秋、2002年。ISBN:4167258064
4.橘南谿・宗政五十緒「東西遊記東洋文庫平凡社
1巻、1987年。ISBN:4582802486
2巻、1986年。ISBN:4582802494
私の國語教室 (文春文庫) 東西遊記 1 (東洋文庫 248) 東西遊記 2 (東洋文庫 249)