「おはなし」の続き


米原といえば、醒ヶ井の鱒の姿鮨です。
中1のとき、下掲書*1でみて以来、1度いただきたいものだと思ってました。西宮在住の叔母からは、入手困難との話もきいていました。


高崎在勤時、夏の高校野球応援の団体臨時列車を組成、添乗したことがあります。
東海道本線の夜行で、朝食積み込みは米原。ならば鱒鮨か?と思っても、そこは団体列車ですから、自分の好みで決めるわけにもいきません。
結局万人向けのお弁当にするほかなかったのです。


昨秋の名阪ツアー。休暇がとれなかったため、本隊から1日遅れて寝台急行で東海道を下り、米原で合流することにしました。
名古屋から新幹線で来られたきさ家のお二人と駅でおちあい、お昼のお弁当を求めて、駅前の井筒屋に向かいます。
鱒姿鮨をなんとか入手できないか、事前に店と連絡をとっていたのですけど、やはり一定数まとまらないと無理だそうで、断念したのでした。
このときはみんなでいろんなお弁当を買って、湖畔で分けあっていただきました。


一見ふつうの幕の内風の「湖北のおはなし」昨晩じっくり味わってみて、その奥深さにふれたような気がしました。
おかずは鴨の炙り焼、鶏の鍬焼風、蒟蒻、玉子焼、葱とおあげのぬた、小芋丸煮、川海老、煮豆。香のものは梅干、山牛蒡、赤蕪。
ごはんは白おこわで、底に桜葉が敷かれ、ごく仄かな塩味を醸しています。
食後の飴がご愛嬌。とはいえ、抹茶味で、甘すぎず苦すぎず。デザートとお茶の機能をこれが果たしてしまうわけですね。


素朴、田舎風を装いながら、どれも淡い味付けで、素材を引き立てているのがみごと。
改めて感心したのは、お弁当の常として、さめた状態でいただくわけですけれど、ごはんもおかずも、本来熱いはずのものがさめている、という感じをまったくいだかせないこと。さましていただくのが最善、とさえ思ってしまうほどでした。
これは京文化なのか。坂東の料理屋は逆立ちしても出せない味わいなのか、といったらいいすぎでせうか。

*1:石井出雄「駅弁旅行」カラーブックス、保育社、初版1967年。