史蹟発掘の成果
承前。当該地形図そのものが出土しました。
1. 記憶違いなど判明。
1.1 5万図ではなくて2万5千分の1でした。
1.2 断面図作成の宿題は中学・自宅間ではなく、隣接する小学校とT神社の山頂を結んだ線を鉄道と交叉するまで延長した区間のようです。
鉛筆の書込みから類推。なにしろ、我が中学が地図上に存在しないのです。新設校だったからね。
1.3 中間試験出題の「ある地点、保体のS先生の下宿」を同定した形跡なし。
最寄駅までを半径として円を描いた跡もなし。ディバイダで測っただけだったような気がします。
2. さすがに現在とはだいぶ異なるようすの数々。
2.1 小田急多摩線も新百合ヶ丘駅も、影も形もない。
谷あいの平地は水田の記号。私の見たころはすでにコメ余りの時代で休耕田だった。ただし米飯給食実施よりずっと前。
付近に池がひとつあるが、私の知る「魔女池」ではなさそう。
2.2 京王線は調布駅から分岐し多摩川を渡って南武線と交叉するあたりで断線。
2.3 中央高速は調布インターから新宿寄りが存在しない。
2.4 厚木街道は田園都市線梶ヶ谷駅・宮崎台駅間で直角に曲がり線路と交叉している。
その他、直線バイパス状幹線道路の存在しないところ枚挙に遑なし。
2.5 我が中学とキャンパス名を同じくする某女子大、及び附属中高がない。
てっきり昔からあったものと思った。分水嶺の如き尾根の向こうではあるが。
2.6 中学近くの線路端に工場の記号。記憶では典型的な金属・機械工場の外観だった。
後の時代ファミレスになったりガソリンスタンドになったり、今は何だっけ?
2.7 自宅近くを通るバスの終点、全国的にnotoriousな?某医大病院もない。
当時は自宅よりも駅に近いところまでしかバスが来てなかった。バス路線や停留所は地形図には記されていない。
2.8 実家あたりは現在と変わらず。
今の自宅周辺は広葉樹林や針葉樹林の記号で集落の面影はない。谷側には水田、尾根側に果樹園。
なんだか当時の情景が思い浮かぶようです。諸元は次のとおり。
明治39年測量
昭和41年改測
昭和45年修正測量
1. 使用した空中写真は昭和44年10月撮影
2. 現地調査は昭和45年6月実施
3. 境界は昭和45年10月1日現在
昭和46年7月30日発行