取材と事実と演出

前掲*1書について補記。映画を見たあと読んだのがもう3年も前になる。
1 ボウデン、マーク「強襲部隊-米最強スペシャル・フォースの戦闘記録」伏見威蕃 訳、早川書房、1999年。
 (Bowden, Mark"BLACK HAWK DOWN")


膨大な数の当事者に取材して、彼らの目にとらえられた事実を再現、それを積み上げる手法をとる。
たとえば、ある米兵の行動について、3回記述されているような例もある。その本人、それを見た他の米兵、非武装のソマリ族民間人それぞれの目を通じてである。
著者の価値観を排そうとする姿勢は伝わってくる。しかし残念なことに、ソマリ族の視点からの記述が少ないので、その点偏った印象を否めない。
それは取材の制約を克服しえなかったことの他、戦闘による死者がソマリ族に圧倒的に多かったためでもあろうか。
記述や取材の量の差を以て本書を米国の弁護側証言とする批評があるとすればそれは妥当でない気がする。


同様の手法による記録。
2 ロングマン、ジェレ「墜落まで34分-9・11UA93便 ハイジャックされた乗客たちの記録」原口まつ子訳、光文社、2003年。既出
 (Longman,Jere"AMONG THE HEROES : United Flight 93 and the Passengers and Crew Who Fought Back",2002.)
3 ドワイヤー,ジム;フリン,ケヴィン「9・11 生死を分けた102分-崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言」
 三川基好 訳、文芸春秋、2005年。ISBN:4163674306
 (Dwyer, Jim;Flynn, Kevin"102 MINUTES : The Untold Story of the Fight to Survive Inside the Twin Towers")


3は建物の中にいた人々、彼らと電話で話した人々から取材。消防や警察の交信記録などもまじえ、あのとき何が起こっていたのかを再現する。
警察と消防の不仲、実用にならない救助隊の無線、指揮命令系統の不在なども明らかにされる。
WTC建設の前に行われた建築基準緩和の背景に、賃貸可能面積を如何に増やすかという事業者の動機が存在したことを思わせる証言も多数。基準緩和にあたって、燃焼実験などの実証は行われなかったという。
あの日あの建物の中で、ひとりひとりが助かるため、あるいは他人を助けるために何をしたかを忘れてはなるまい。
助かったはずの人命が多数喪われたことまでテロリストの戦果にしてはなるまい。


佐野眞一
4 「東電OL殺人事件」新潮社、2000年。ISBN:4104369012
5 「響きと怒り-事件の風景・事故の死角」日本放送出版協会、2005年。ISBN:4140810602


4は単行本新刊で読んだ。事実の積み上げは検察側主張の反証を構成する結果となっている。著者のスタッフを多用した取材力が圧倒的だった。
3と同時期刊行の5は期待はずれ。9・11や尼崎脱線事故など最近の大事件・大事故を扱うも残念乍ら取材日記の域を出ない。
ルポルタージュではないと思う。ブンガク的にすぎる。そういうものと思って読めばよいか。


6 吉村昭戦艦武蔵」初版不詳。新潮文庫版、初版不詳。新潮文庫(改版)、1992年。ISBN:4101117012
7 渡辺清戦艦武蔵の最期」朝日新聞社、初版1971年。朝日選書版、同、1982年。ISBN:4022592974


手塚正己
8 「軍艦武藏」太田出版、2003年。〈上巻〉ISBN:4872337441 〈下巻〉ISBN:487233745X
9 「『軍艦武藏』取材記-海軍を生きた男たち」同、2004年。ISBN:487233812X


6は武蔵を扱った古典。西日本で棕櫚が品薄となるところから物語が始まる。武蔵建造秘匿のため、造船所に棕櫚の簾をめぐらせたのだった。文庫版を読んだのは小学5年だったか。
7は就職したころに選書版で読んだ。すでに多くの戦記を読んでいたのに、じつに生々しい描写という印象を受けた。艦上の乗組員が傷つき死んでいくさまや重傷を負って艦内に収容された者にとっての艦の沈む恐怖などに慄然とした。


一般に戦記といわれるものにそれまで抱いていた印象を8には覆される思いがした。
高齢の元乗組員たちが存命のうちにという強い動機で丹念に聴取した結果をもとに構成。武蔵のというより武蔵に関わった人々の記録といえる。
著述は三菱長崎造船所で進水して艤装中の武蔵に異動発令を受け乗組員が赴任するあたりから始まる。平時の描写からうかがえるのは、官僚制の下で働く給料生活者の日常そのものである。私が現在暮らしている日常とそうちがわないようにもみえる。
それがある日とつぜん凄惨な戦闘場面に投げ込まれる。さっきまで仕事をともにしていた同僚が、部下が上司が肉片と四散する。
レイテ湾突入の道半ばで艦は沈む。漂流後救助された乗組員は、口封じのためか前線に投ぜられる。移動中の艦船を撃沈され再び漂流した者、餓死者を出しながら山中行軍した者もいる。
9では、著者自らフィリピンに赴き、漂流や行軍を実体験してみた過程なども明かされる。
現在横浜港に繋留されている氷川丸も、戦時中は病院船として武蔵の負傷者を収容していたとは初めて知った。


8を読みながら、描写の、とりわけ戦闘場面の淡々としているところにじつは違和感を禁じえなかった。
6や7に出てきたのに語られていないことがあるような気もした。著者によると、1人だけが語って裏づけのない事実は、記憶違いや脚色のおそれもあるとして敢えてとりあげていないものもあるという。
すでに流布している文献の中には見てきたような嘘もあると語る元乗組員もいたそうだ。
巻末に掲げられた多数の参考文献の中には6も7もなかった。それが見てきたような嘘ゆえなのかどうかはわからない。
描写の生々しさとハリウッド映画流の演出は紙一重なのかもしれない。


10 スティーヴン・スピルバーグ監督"saving private ryan"


劈頭のノルマンディー戦闘場面だけでも存在価値があると思った。実戦経験者の中に、あの場面にないのはにおいだけだと語るもありときく。
映画"Black Hawk down"*2の描写からも演出らしさは感じられない。その生々しさはソマリ族のではなく米兵にとってのものであるが。
戦闘から帰還して、車輛の荷台に散乱する薬莢とともに、一瞬ぬらぬらと照り返すような血や脂が目に入る。においをかいだ気がした。
39・11生死を分けた102分  崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言 4東電OL殺人事件 5響きと怒り―事件の風景・事故の死角 8軍艦武蔵 上巻軍艦武蔵 下巻 9『軍艦武蔵』取材記―海軍を生きた男たち 10プライベート・ライアン スペシャル・リミテッド・エディション [DVD]