闇の深さ広さ

下山事件について何を読めばよいか。某姐から御下問を賜ったのは春まだ浅き日*1のことだった・・・


1949年7月、国鉄初代総裁下山氏が失踪し、常磐線綾瀬付近で轢死体で発見された。
占領統治下で国鉄が大量解雇を通告した翌日のことであった。自殺とも他殺とも、公の結論は出ていない。


事件のことを知ったのは小学校4年のとき、上掲書でだった。
それ以来、じつはまとまった本を読んだことがなかった。現在入手の容易なものをあたってみることにした。
そういえばここ数年の間に新刊が相次いだ記憶はあった。それらを初版刊行順に掲げると次のようである。
1葬られた夏―追跡下山事件 (朝日文庫 (も14-1)) 2下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫) 3(初版)下山事件―最後の証言
1 諸永裕司「葬られた夏 ― 追跡下山事件朝日文庫朝日新聞出版、2006年。ISBN: 9784022615114
 カバー装幀= FROG KING STUDIO / カバー写真=朝日新聞社
 (初版 朝日新聞出版、2002年。) 
2 森達也下山事件(シモヤマ・ケ−ス)」新潮文庫、新潮社、2006年。ISBN: 9784101300719
 デザイン 新潮社装幀室 / カバー写真 毎日新聞社
 (初版 新潮社、2004年。) 
3 柴田哲孝下山事件完全版 ― 最後の証言」祥伝社文庫祥伝社、2007年。ISBN: 9784396333669
 カバーデザイン 芦澤泰偉 / カバーフォト 毎日新聞社
 (初版「下山事件 ― 最後の証言」祥伝社、2005年。ISBN: 9784396632526) 


お勧めは、いずれか1冊なら3。2冊読むなら1・3の順、3冊なら2・1・3の順であろうか。


これら3作の端緒となったのは1991年のできごとである。もともとモノ書きであった柴田が祖父の法事の席で親族から「故人が下山事件に関与していたらしい」ときかされて事件に興味をもった。
ここからさまざまな事実が明らかにされてくる。最初に世に出たのは記者諸永による雑誌連載で、このとき証言者柴田は匿名であった。この連載をもとにまず1が刊行された。
一連の雑誌取材には映像作家の森も関与していた。2は取材の過程や著者自身の内面にも相当立ち入っていて取材手記のような趣である。3人の確執のようなものもうかがわれる。
下山事件の究明にとり憑かれたようになることを揶揄して「下山病」に罹るなどという。森はその諸相をも描きだす。
2の読了後にはたと気づいた。森が表題に「シモヤマ・ケース」と仮名を振ったのは、事件の意のみならず、シモヤマ病例という寓意をこめてのことであったか。


そして、他人による著述の限界を補完するかのように、匿名証言者であった柴田が実名で3を著すに到った。
1・3はいずれもスパイ映画のような面白さを湛えながら、その背景をなす取材は緻密で、きわめて実証的であるようにみえる。膨大な文献・文書にあたるのみならず、関係者への取材は驚異でさえある。


諸永は取材のため渡米し、事件当時に在日米国機関で諜報活動に従事していた何名かとの面談に成功した。
取材意図を最初から明らかにするわけではない。聴取を進める過程で相手は何を語り何を語らないか。
語ることで何かを隠そうとしているのか。語らないことから何を読みとるか。
発言そのものを引き出せなくても、核心にふれたとき相手のみせた当惑などが仮説の強力な裏づけとなることもある。
かかる現象は1・3に共通してあらわれる。


柴田の書きぶりには自らの親族を取材源とすることの難しさが感じられる一方、日常生活の断片のように語られる思い出話などには、そこに話者が何らかの意図を介在させる動機を想像しがたいものも多い。それゆえ証言としては信憑性が高く貴重であると考えられ、さらに遺品など物証の裏づけも伴って、話の断片がつながり事実が推定されてその姿をあらわす過程は説得力がある。
1人対1人の取材に脚色などない限りという留保は必要かもしれない。しかし記述や立論はそれを超える合理性を具えているように思われる。


雑誌や文献の刊行後、読者の中から新たに証言を申し出る者も現れた。
3作とも事件後半世紀を経た時期の取材が多く、このころが関係者本人に面会する限界だったのかもしれない。柴田が書名に「最後の証言」と付した所以であろう。
関係者の所在をつきとめてみたら僅かの時間差で亡くなられた後だったという事例も多く報告される。誰にも何も話さず自分の墓場まで持っていく覚悟を固めたかのような人も登場する。
あるいは、存命中の人に関する話はその人の迷惑を慮ってできないという人もいる。自分を含めた当事者が亡くなるまでは公表すべからずという条件で取材に応じられたような例も、もしかしたらあるのかもしれない。諸永が「未完」と記して筆を擱いたのはそのためか。


当時の体制的危機感は諸永の取材証言と記述において、より如実に感じられた。
下山事件三鷹事件とともに防共の捨石となったのか。それは結果としてなのか。
柴田の取材と考察はさらに広汎な領域に及ぶ。松川事件も絡み、政官財癒合の萌芽のようなものが見え隠れする。
その背後に想像されるはかり知れない力から、「自己増殖する価値の運動体」という概念が思い起こされた。
闇の深さだけでなくその広さにも戦慄を禁じえない。


などと3作まとめて書評のようなものを書きかけたところで、絶版になっていた古典が復刊された。
0謀殺 下山事件 (祥伝社文庫) カバーデザイン 芦澤泰偉
0 矢田喜美雄「謀殺 下山事件祥伝社文庫祥伝社、2009年。ISBN: 4396335059
 (初版 講談社、1973年。) 


著者は事件当時、新聞記者として取材にあたった。
東大法医学教室に入り浸り、遺体標本にも接した。現場でルミノール試薬を用いた検査を自ら敢行し、事故列車が現場に到達するより手前の地点にも広く血液反応のみられることを発見、遺体搬送後の轢断を裏づける有力な証拠を示した。
関係者への接触も長年にわたって続け、ついには遺体を運んだという取材証言を得るに到る。
報道の立場からというより、捜査当局の外にいながら、これだけのことをなしえたとは驚嘆するほかない。
事件の全容を把握する上で第一級の資料である。


いや、資料というだけなら、上掲書1から3にあらわれる本書の引用または要約を理解すれば十分であろう。
当時を経験した著者自ら語ることばにふれるのは、事件を知る上で欠くべからざる過程であるとわかった。


0〜3の4冊を対象とすると、第一に読むべきは0である。
0の読後、さらに「お勧めは、いずれか1冊なら3。2冊読むなら1・3の順、3冊なら2・1・3の順であろうか。」