本源をもとめて

ぽた郎さんの日記1/28付より。

■ [Food]世界一臭い缶詰
【こぐさん風に】シュールストレミングが流行っているのでせうか。つひにTV登場とは。シュールストレミング,私は小泉武夫大先生の本で拝読しました。いえ,食べてみたいとは思いませぬ・・・。(^^;

ぽた郎大々先生に引合いに出され光栄であります。連想された過程はまず措くとして。
シュールストレミングとは存じませんでした。北欧にはこれに合うくさい酒とかありそうですね。


話題その1。小泉大先生に関しては近著2冊読了。下掲書1に曰く、
1 食の堕落と日本人 (小学館文庫)

 私は現代の日本人にもっと食べ物をじっくり味わってほしいと思っている。世の中には、金を出せば出すだけうまいものや滋養のあるものが食えると思っている人がいるようだが、それは野暮というものであり、そもそもその考え方が間違っている。
 大切なのは、どんな食べ物に対しても、しっかりと料理したものは食べて美味しいという舌を持つことだ。そして、無駄なものを出さずに、素材を隅から隅までじっくり味わうことである。それができる人こそ食通というもので、(後略)

我が意を得たりというべきか。
今の日本の食って、素材からは滋味が喪われ、加工物には調味料によるどぎつい味つけばかり横行しているような気がします。
先般、母と話した折、昔は根菜でも煮ればそれぞれの味がしたのに、今はそれがないと嘆いておりました。


食事の不味さが国民性のように揶揄される英吉利。
倫敦現法に駐留してた後輩からは、食事が不味い、喰うものがないからかっぱえびせんを齧ってるとか、さんざんきかされた挙句現地を訪ねてみると、肉や野菜の生の美味しさに感動。とりたてて味つけがなくても、羊の脂も内臓も、つけあわせの生野菜も、じつにくさいものでした。
大陸に渡っては、フランクフルトでいただいた新もののアスパラガスは、生涯最高の野菜という気がしました。


話題その2。kog的にときどきあらわれる舊假名遣いはだいたいにおいてナンチャッテであります。
正しくは下掲書3によって、高3のころ学ぼうとしたのですけど。母語に音韻上の区別がなければ受験的に学ぶしかありません。
古代は音韻の区別あればこそ、それぞれの音を表す仮名遣いが生まれたはず、したがって仮名遣いから古代の音韻を類推しうるはず、というのが下掲書4の考えかたです。


やまとことばは古語の活用と音便を押さえるのを基本とすれば、「喰いたひ」「よゐこ」などという「誤用」は避けられるとはいえ、いくつか法則化されるにしても、例外が多すぎ。漢語の読みは複雑怪奇。
「淡雪=あはゆき」「夕べ=ゆふべ」だが舊假名でも「泡雪=あわゆき」「昨夜=ゆうべ」とか、
「あふぐ」から「あふぎ=扇」とか、「黴立ち」から「かふぢ=麹・糀」とか、語源でも時代でもどこまで遡れば「正しい」のか、収拾がつかなくなりそうです。


1 小泉武夫「食の堕落と日本人」小学館文庫、小学館、2004年。ISBN:4094056610
2 小泉武夫「アジア怪食紀行―『発酵仮面』は今日も行く」知恵の森文庫、 光文社、2004年。ISBN:4334782663 既出
3 蘄田恆存「私の國語繁室」新潮社、1960年、絶版。文春文庫版、文藝春秋、2002年。ISBN:4167258064 既出
4 橋本進吉「古代国語の音韻に就いて 他2篇」初版不詳、岩波文庫版、岩波書店、1980年。ISBN:4003315111 既出